子供は母親の眠りを見ています。
しかし僕は子供の頃に、母の眠りが怖くなることがありました。
それは、母の眠っている横で母の寝息を聞いている時です。
寝息が突然止まるのです。子供は息が止まって死ぬのではないかと思い心配になり、心配は恐怖になり、母の眠りが怖かったのです。
私が小学校の4年生の頃の記憶です。もう4年生ともなると、母と一緒に寝ることはありません。母は、私が小学校の頃、体力勝負のガテンで働いていました。なので、疲れて早く寝ることが多かったのです。
その母の寝顔をよく見ていたものです。そうすると、母はいびきをかきながら寝始めます。よくテレビで見たトドが、泣いている声「グォー、グウォー」という母のいびきが聞こえてくるのです。
また母は、甘い菓子が大好きで仕事が終わり帰宅後にプロレスのテレビを見ながら、大好きの菓子を食べるのが日課でした。そのため母はチビデブでした。
そんな母でしたから、昼間の仕事に疲れて夜9時頃には寝ていたのです。私は母の肩もみと背中踏み(背中に乗って足でもみほぐす)が日課になっていました。
母はやがて寝りに落ちていきます。そうすると母のいびきがしてきます。子供心に母のいびきは、心地良いものでした。なぜなら、母のいびきが聞こえている限り母は生きているのですから。
母は高血圧のために、いつ倒れてもいいように私に言っていました。「もし、私が倒れたら隣のおじさんのところに、お母さんが倒れた」と言いに行くように言われていました。
すなわち、母が息をしなくなることは、母が倒れることなのです。子供心にも母が死ぬということをリアルに感じ取っていたのです。
母が私に万一のことを言っていたのには理由があります。それは私からすればおばあちゃんなのですが、母のお母さんが高血圧のため脳溢血で倒れ、そのまま帰えらぬ人となってしまったのです。母はその血を引き継いでおり高血圧でしたから心配だったのでしょう。
だから母は小学生の私に倒れた時の対応を言っていたのです。倒れた時には、隣の家に知らせるようにと。そんな私は、母がいびきや寝息をたてている時には安心できたのです。
しかし母のいびきは、時々止まるのです。「ゴロ、ゴロ、ゴー」・・・だったいびきが、突然「シーン・・・」と聞こえなくなり、寝息も聞こえなくなるのです。
私は不安でたまらなくなり、泣きそうです。心配で胸が苦しくてたまらなくなります。
その静けさは「ゴウォ、グウォ、・・・、ゴロ、ゴー」と始まり、いつものいびきが聞こえてきます。そして私は、安心して「ありがとうございます。神さま」と心の中でつぶやきます。
こんな母のいびきが途切れる不安と心配がありましたが、一度も静けさが続くことはなく、決まっていびきが、また続くのです。
今になって思えば、母のいびきの途切れは睡眠時無呼吸症だったのかも知れません。母は肥満のために気道をふさぎ呼吸を止めてしまっていたと思うのです。並外れて母は太っていました。首のあたりも太く、気道をふさぐには十分過ぎるほどの脂肪の量でしたから。
こんなお母さんの途切れる息を怖がっている子供がいるかも知れないのです。お母さんが大好きでたまらない子供が、お母さんの寝息に耳をすませ、ビクビクしながら母の眠りを怖がっている子供が。そんな子供は、母親の眠りが怖いのです。
そんな小さな頃の思い出が最近、頭をよぎりました。私も子供を持つ親として子供時代の記憶は、時とともに消え去ろうとしています。この文章を書くことで小さな時の自分に、少しだけ帰り、眠りと母親について、書くことができました。きっと天国の母も喜んでくれるのではないでしょうか。